母校で今年からアメリカンフットボール部の監督をすることになりました。監督といってもそんな大したことするわけではなくて、ちゃんとした部活になってほしいという想いと、学生には限られた時間しかない、その4年間をより良いものにするお手伝いができたらと思い、監督を受けさしてもらいました。 僕はなにをやるにしても全部もちろん100%なんですけど、どっぷり一個のことに腰を据えてするというのが苦手なので、常にいろんなことに手をつけたいタイプなんですね。なので自分も選手としてもまだやりたいし、アメリカンフットボール以外のこともやりたいし、仕事もしたいし、家族とも遊びたいし、あわよくばお店もやりたいなーとか思ってます。今のところ全部中途半端です(笑) 今回実はいろいろあって、ここにそんな詳細を書くことはないんですけど、やっぱり人との関わり方って大事やなーと思ったのと、人それぞれの「普通」って違うなーと痛感させられました。 それは学生からの相談からだったんです。 学生の頃って大人が言うことって耳障りで、うっとうしいことも多かったように思います。僕も学生時代アメリカンフットボールをやってるときはOBさんとかが日曜たまーーに来て、あーだ、こーだ言って帰るの「うっとうしいなー」と思ってました。OBさんすみません。社会人になっても一緒ですよ。上からあれやれこれやれ言われるの「うっとうしいなー」と思ってました。社会不適合者です(笑)だから普通のサラリーマンではなくなったと思うんですけどね。 そういう気持ちって与える側の立場になるとついつい忘れてしまうのかなぁと思ったんです。仕事の話で言うと、お金を増やすための話をすることがありますよね。こっちは絶対にその人のタメになると思って言っているし、逆になんでやらへんの?!ぐらいに思ったりしてしまうんですが、ちょっと立ち止まって 「いや待てよ。俺だってそんなこと言いながら5年前はなんにもしてなかったやん。」 と自分に言い聞かせたりするわけです。今の自分の「普通」が相手にとっては「普通」じゃないというケースです。 圧倒的パワーのもと自分の価値観で相手を押しつけるか、相手に寄り添った価値を提供するのか。どっちも正解なんだと思うんですが、前者を行う場合は批判みたいなことがあることが予想されます。 そのときに「なぜわからないんだ」「どうしてわかってもらえないんだ」となる場合があります。なぜそうなるか考えると、それは相手にこう思われたい、こうして欲しい…のように自分でコントロールできない部分に依存しすぎなように思うわけです。 なんかどこかで読んだ本みたいになってきました(笑) いろんな場面でありますよね?良かれと思って…てこと。家族に対して、友達に対して、お客さんに対して… 「チームを強い組織にする」 共通認識や判断基準はここしかないので、そこに個人の感情は不要かなと思うわけでございます。 こんな感じですが僕は監督なんでチームがよくなることはやらないといけないんですよ。大学スポーツは学生が主役で大人はサポートしかできません。 チームは少ない人数ですが、それでも20人ほどの人間がいるわけで、それぞれに違う考えがあって、全員に受け入れられるなんてわるわけもなく、合う合わないもあります。ただ大人がそこにいたい場合は自分が変わるしかないし、それが嫌なら去るしかないかなと。学生のサポートなんでね。 ちょっと愚痴っぽくなりましたが、こんな弱小大学の手助けをしてやろうかという本当はありがたい話で、こんな経験もなかなかできるもんでもないとは思います。めちゃくちゃめんどくさいですが広い心で円満解決できるようにしていきたいなと思います…やります(笑)