プロフィール

近藤 亮介(こんどう りょうすけ)

■1986年12月29日生まれ(寅年 山羊座)

■血液型 O型

■3兄弟の長男

■2児の父(長女H25年6月、次女H26年12月)

■兵庫県神戸市在住(生まれも育ちも神戸)

■動物占いは黒ヒョウ(マスターインストラクター持ってます)

【生まれ】

昭和61年(1986年)12月29日生まれ。

忙しいくそ年末に近藤家の長男として誕生。

のちに弟、妹と生まれ3兄弟の長男になりました。年が近いせいか小さい頃はよく喧嘩をしていたように思います。今は仲良しです。

【学校】

魚崎幼稚園
あじさい組。運動が超苦手なお調子者だった幼稚園時代。

神戸市立魚崎小学校
2年生時に阪神淡路大震災を経験。記憶は断片的ではありますが、玄関で飼っていたグッピーの水槽が落ちて割れ靴が全滅してしまい、スリッパで過ごした記憶は残っています。ピアノ、水泳、剣道、学習塾、いろいろ習い事はさせてもらいましたが全てパッとせず、唯一続けることが出来たのが野球でした。毎週末父と少年野球に参加することが楽しみでした。そこで友達もたくさんできた記憶があります。所属していたチームが弱小だったので続けれたということもあります。

弟と一緒に少年野球へ!

神戸市立魚崎中学校
3年間三上先生にお世話になりました。ある意味好かれていたのでしょうか…
部活動は野球部に入部し3年間野球中心の生活でした。この野球部で熱血顧問の川上先生に出会い心身ともに鍛えられました。僕が2年生になる前に転勤されてしまい中学での指導期間は短かったものの学区内の公立高校に転勤されたこともり、高校で野球をするなら川上先生の元で野球がしたい!と思い受験勉強も頑張ることができました。

神戸市立六甲アイランド高等学校 国際情報学科
野球部に入部し、毎日ヘロヘロになるまで練習に明け暮れてました。苦手な勉強も頑張って念願の高校野球。川上先生の熱い指導で有意義な野球人生が送れました。3年間一緒に汗を流した仲間は一生ものです。努力はたくさんしたものの自分たちが3年生の夏の大会は初戦負けを喫してしまい、勝負の厳しさを痛感しました。不完全燃焼だった僕は受験勉強モードにうまく気持ちを切り替えることができませんでした。そんな時、部員不足で最後の大会に出場ができないと悩むラグビー部キャプテンからの勧誘に運命を感じ、夏から秋までの助っ人入部をしました。野球部で毎日のようにトレーニングで走っていたので知らない間に走るのも速くなっておりそこそこ役に立ったみたいです。スポーツは野球しかやったことがなかったのですが新しいことを始めるのも良いことだなと感じ、野球への未練も随分薄れたのを覚えています。

最初ピッチャーでした。
ラグビー部の写真にも
野球部の集合写真

流通科学大学商学部経営学科
今まで小、中、高校と野球しかやったことがなかったので大学ではサークルにでも入って甘酸っぱい青春を謳歌したいなと思っていました。そのつもりでしたがアメリカンフットボール部に勧誘され体験入部では走ったり投げたりすることを褒められ(褒められることに慣れてないのでうわついてました)、練習終わりには焼肉に連れて行ってもらい…知らない間に入部してしまっており甘酸っぱい青春どころか4年間汗臭い部室の住人になってしまいました。最初は嫌々やっていたところもあり数ヶ月で退部も考えたのですが、試合で頑張る先輩たちを見て感動し、なんとか続けることができました。2年生からはQB(投げたり走ったりする人)を任され練習やトレーニングも人一倍努力しました。2年生の時には創部初となる2部昇格を果たし良い経験もさせてもらえました。ですが自分たちが4回生の時には3部に降格させてしまい、またしても勝負の厳しさを身をもって体験させられてしまいました。この経験があったからこそ今でも社会人チームでプレーヤーをしたり、母校である流通科学大学でコーチもさせてもらったり…体が動く限りはアメリカンフットボールに関わりたいなと思っています。

学生時代
アメリカンフットボールで弟と
社会人チームで

【職歴】

株式会社スズケンに就職
大学3年生の10月から就職活動を開始。正直部活のことしか頭になく、体育会に4年間所属しているし、人と話すことは得意ではないけど、何か役に立って人に喜んでもらうのはすごく好きだったので就職活動は『営業一本』で就職先を探していきました。まわりの先輩方の話を聞き、医療業界がこの先日本にはなくてはならない存在になるのではないかと感じ部活の先輩も就職している株式会社スズケンを受けました。時代も良かったので面接もスムーズに行き無事内定をいただきました。医薬品卸という業種は医療用の医薬品を病院や薬局にお届けする仕事です。薬はなくてはならないものですが、他にも同じ商品を売る会社がたくさんあります。入社したての頃は、
「1番安くしたらお客さんから買ってもらえる」
と思っていました。それは正解でもあり、間違いでもありました。そのことに気づかしてくれた上司には本当に感謝しております。それから僕は10年間の間に4回も異動をすることになるのですが、その都度心がけていたことはお客さんの話を『聴く』ということです。他愛もない話で仲良くなれたり、時には困っていることを聞くことができたり…お客さんは『薬を買う』ということは決まっています。商売道具なので必ず買います。後はどこから買うか、誰から買うかを選んでいるのだということに気づきました。そのことに気づいてからはとくに営業をやっている感覚はなく聴くことを心がけていました。お客さんにも恵まれ仕事も順調で楽しくできていました。ただ30歳になる頃に会社の言うことへの矛盾と仕事への物足りなさを感じるようになります。

生命保険会社へ転職
会社員である以上会社の指示が絶対であることは当然だと頭ではわかっているのですが、それが本当にお客さんのためになっているのか?という思いが日に日に強くなっていきました。そんな時に縁あって生命保険会社への転職の誘いを受けることになります。全く興味がなかったわけではないのですが、生命保険の印象は自分自身子供が生まれた時に保険に入ったものの内容はよくわかっておらず、「難しい」「複雑」そんな感じでしたので、自分が保険屋になるというイメージができませんでした。しかし、何度か保険会社の方とお会いする中で
『お客さんのことだけ考えてできる仕事』
この言葉に僕は心を打たれ転職を決意しました。
会社の売上のためではなく、お客さんのためになると思ったことだけをする。
それが自分の仕事の原動力になっています。

かっこいい親父を目指して頭と体のトレーニングに
励んでいます。


 現在は、元の保険会社から移籍し40社以上保険会社の扱える代理店で仕事をしております。保険版の卸売業者になった様なイメージです。10年近く医薬品卸で働いていたこともあって、どこか1つのメーカーの商品だけを販売するというよりも、そのとき、その人にあった商品を提案できる働き方のほうが僕には向いているみたいです。

僕ができることは新しく保険に入りたい方の相談に乗ること。正しい保険を提案すること。損しないための保険の見直し。これだけです。

保険屋ですのでお客さんに納得いただき保険の契約をいただくことはもちろん嬉しいです。

が!!

それに限らず僕のことを知ってもらっている方に何か困ったことがあればなんでも相談してもらえるような「何でも屋」みたいな保険屋さんを目指しております。僕1人で解決できないことは仕事を通して知り合ったたくさんの人たちと一緒に問題解決していきますので、なんでもご相談くださいね。

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